池森賢二さんは、ファンケル化粧品グループの創業者であり、2019年現在は会長職におられます。
池森さんの情報についてまとめました。
池森賢二のwiki風プロフィールは?
池森さんのプロフィールをwiki風にまとめました。
池森賢二さんのwiki風プロフィール
出典:https://ameblo.jp/syacyouninaritai/entry-12508237718.html
出身地:三重県
生年月日:1937年(昭和12年)6月1日生まれ
出身大学:産能短期大学中退
職歴:小田原瓦斯株式会社などを経て、1980年にファンケル化粧品を創業
(当時は、ジャパンファインケミカル販売株式会社と名付けられていた)
趣味:ゴルフ
特技:カラオケ
好きな食べ物:麺類
著書:企業存続のために知っておいて欲しいこと(PHP研究所)
病気にならない人の「考え方」(ダイヤモンド社)
物事は単純に考えよう(PHP研究所)
社長から社員への手紙(飛鳥新社)
あなたを病気にさせない予防医療(幻冬舎)
優しさと感動のこだま-ある企業の軌跡(講談社)
池森賢二の年収はどれくらいなのか?
池森賢二さんの年収が気になりますよね。
ファンケル自体の社員の年収は、まずまずのところのようです。
役員報酬の年収のランキングの47位に同種業者のノエビアホールディングスがいるのですが9千万円付近と公表されています。
創業者で社長ということですので、5千万円は下らないと思いますが、9千万円以上は取っておられないようです。
ということで、この間ぐらいではないか?と推察されます。
池森賢二の出身高校・大学は?
池森賢二社長は、三重県のご出身であるれる、という情報があります。
戦後の混乱・物資不足の折に、お母さんの実家のある新潟の山村に疎開されますが、電気技師をしていたお父さんを不慮の事故で無くしてしまわれます。
子供5人がいたため、お母さんは決断して上京して生活を立てることを考えます。
池森さんは、中学校卒業後、パン店に住み込みで働き、夜になると定時制高校に通っておられた、という記載があります。
パン職人と定時制高校生、そして柔道もならっておられたということで、睡眠時間は3時間の時期もあったと言います。
そして、産能短期大学に進学されますが、上記のような厳しい状況もあり、中退されているようですね。
大変な、苦学生だったことがしのばれます。
池森賢二の嫁・子供情報は?
池森賢二さんの奥さんの情報は、あまり表に出ていないようです。
池森賢二さんが、化粧品業界に進出するきっかけとなったのが、奥さんがひどい肌荒れで困っていたこと、という記載があります。
当時、日本では化粧品公害がクローズアップされており、万人にフィットする良質の化粧品が求められていた時期でもありました。
池森さんは、無添加の基礎化粧品を提供するファンケル化粧品の基礎の部分を作ったことになります。
そして、その安全な化粧品の延長線上に、現在の主力商品である、サプリメント商品があるわけですね。
池森さんのお子さんの情報も、かなり少ないですが、画家になっておられるという情報があります。
そして、5人兄弟の真ん中の池森さんには弟さんが2人おありになるのですが、お二人も既に70代ということで、同族の会社後継者が厳しい状況のようです。
このため、池森さんはファンケル化粧品の持ち株を『キリン』に持ってもらうように働きかけ、キリンも好感を持ったようです。
こうして、相思相愛の手ごたえでファンケルとキリンは提携関係になったようですね。
まとめ
池森賢二さんの経歴をまとめて書きました。
池森さんは、年収は5千万円~9千万円の間のようです。
産能短期大学を中退されていますが、かなりの苦学生だったようですね。
そして、奥様の情報は少ないですが、息子さんは画家になっておられるとのことです。